第?回着付け教室報告
2006年 11月 16日
今週火曜日に、9月に通っていた着付け教室の振替の「袋帯の締め方」を習いに
仕事でお世話になっている森蔵さんと一緒に行ってきた。
早めに着いたので、貸出し着物の中から「仲居さんに見えない」着物をチョイス。
うすい緑の訪問着(自称)に薄いオレンジの袋帯、結び方は「二重太鼓」で。
しかし、、、肌襦袢の着方から忘れている・・・・汗・・・
先生は日曜の先生と違いチャキチャキした物言いで、パキパキと時間が流れる。
あーだっけか、こーだっけか、と二人で言い合い間違い、先生の生徒への指導を
覗き込み、どうにかこうにか着付けるが、「一悶着その後・・・」のような仕上がり。
これは、一人で着るには相当練習しないといかん。。。 て、手ごわい。
たたみ方もすーーっかり忘れていて、やる気あんのかと自分で突っ込んでしまっ
た。 本当にいかん・・・
最近ブログで着物についてふれていないので、もう旬な時は過ぎたのね、、、と
思っていた人!あーた! それは違うのだ!
毎日目を腫らしながら、アンティークの着物をチェックしつつ、夜中にもだえつつ
(?)着物熱は着々と生き続けていたのでした♪
しかし、着物はある意味格闘技に近く(!?)、翌日は疲れすぎて半日仕事で使
えない状態になってしまった・・・白目むくこと50回以上!
あまりの疲れにネットで肌襦袢購入! あとは、、、何必要ーー?
さて冷静に考えてこの「着物熱」、というより「和」の世界に改めだしたのは、年齢
のせいだけではないのかもしれない。
バルセロナに生活をしていて、日々強く感じていたのは「私は日本人である」という
事実だった。 中国人でもスペイン人でもなく。。。。
普段日本で愛国心などなく、政治や歴史にも興味がなく、それでいいのか日本人!
の典型的である私がそんなことを今更言うのもどうかとも思うけど。
三年前にグラナダで初めてドイツ人3人と同居した時に、イヤというくらい人種の
違いを生活の上で感じた。 私は白人にはなれないと思った(当たり前だけど)。
それから何人かのスペイン人がそれぞれに相手の話を聞かずに話し続ける中で、
スペイン人にもなれんなーと思った。
外尾さんも本の中でこんなことを書いている。
「バルセロナに来て最初の2・3年、僕は早くスペイン人になろうと努力した。それか
ら次にカタルーニャ人になろうと努力するようになった。 だがこういうしぶとい連中
と付き合ってゆくには、しっかりとした<自分>というものがなければダメだというこ
とがわかってきた。
では自分とは何か、といえば、好むと好まざるとにかかわらず、やはり日本人だと
いうことだ。 その前提の上にたって自分というものを見つめ直し構築していくことが
、このカタルーニャで生きてゆく方法だということが、ようやく分かったのだ・・・」
自分のスタイルをきちんと持たないと、あのスペイン人達と、あのカタラン人達と一
緒に暮らしていくことなんて出来ない。 自分が透明人間にでもなったのか?と思う
ような悲しい時間さえも、そんな事を考えられるきっかけになったのかもしれない。
だから=着物というわけではないけれど・・・結局は『外に出て内の素晴らしさを身を
もって知る』という結果になったわけです、ハイ。。。
お祭りの笛や太鼓の音を聞いた時に、身体が浮き立つような気分になるように、和
の世界にふれて自分のアイデンティティを感じるのも良いなーと思ったわけで。
まー、難しいことは後から何とでも言えるけど、要は着物もカワイーから着てみたい
し、それを友達にも見せたいし、そんなでもっと日本の事に興味を持ってもらえたら
嬉しい、なんて単純だったりします、本当は。
サン・パウ病院 世界遺産にも登録されている病院
ご存知、外尾氏の仕事場、サクラダ・ファミリア
仕事でお世話になっている森蔵さんと一緒に行ってきた。
早めに着いたので、貸出し着物の中から「仲居さんに見えない」着物をチョイス。
うすい緑の訪問着(自称)に薄いオレンジの袋帯、結び方は「二重太鼓」で。
しかし、、、肌襦袢の着方から忘れている・・・・汗・・・
先生は日曜の先生と違いチャキチャキした物言いで、パキパキと時間が流れる。
あーだっけか、こーだっけか、と二人で言い合い間違い、先生の生徒への指導を
覗き込み、どうにかこうにか着付けるが、「一悶着その後・・・」のような仕上がり。
これは、一人で着るには相当練習しないといかん。。。 て、手ごわい。
たたみ方もすーーっかり忘れていて、やる気あんのかと自分で突っ込んでしまっ
た。 本当にいかん・・・
最近ブログで着物についてふれていないので、もう旬な時は過ぎたのね、、、と
思っていた人!あーた! それは違うのだ!
毎日目を腫らしながら、アンティークの着物をチェックしつつ、夜中にもだえつつ
(?)着物熱は着々と生き続けていたのでした♪
しかし、着物はある意味格闘技に近く(!?)、翌日は疲れすぎて半日仕事で使
えない状態になってしまった・・・白目むくこと50回以上!
あまりの疲れにネットで肌襦袢購入! あとは、、、何必要ーー?
さて冷静に考えてこの「着物熱」、というより「和」の世界に改めだしたのは、年齢
のせいだけではないのかもしれない。
バルセロナに生活をしていて、日々強く感じていたのは「私は日本人である」という
事実だった。 中国人でもスペイン人でもなく。。。。
普段日本で愛国心などなく、政治や歴史にも興味がなく、それでいいのか日本人!
の典型的である私がそんなことを今更言うのもどうかとも思うけど。
三年前にグラナダで初めてドイツ人3人と同居した時に、イヤというくらい人種の
違いを生活の上で感じた。 私は白人にはなれないと思った(当たり前だけど)。
それから何人かのスペイン人がそれぞれに相手の話を聞かずに話し続ける中で、
スペイン人にもなれんなーと思った。
外尾さんも本の中でこんなことを書いている。
「バルセロナに来て最初の2・3年、僕は早くスペイン人になろうと努力した。それか
ら次にカタルーニャ人になろうと努力するようになった。 だがこういうしぶとい連中
と付き合ってゆくには、しっかりとした<自分>というものがなければダメだというこ
とがわかってきた。
では自分とは何か、といえば、好むと好まざるとにかかわらず、やはり日本人だと
いうことだ。 その前提の上にたって自分というものを見つめ直し構築していくことが
、このカタルーニャで生きてゆく方法だということが、ようやく分かったのだ・・・」
自分のスタイルをきちんと持たないと、あのスペイン人達と、あのカタラン人達と一
緒に暮らしていくことなんて出来ない。 自分が透明人間にでもなったのか?と思う
ような悲しい時間さえも、そんな事を考えられるきっかけになったのかもしれない。
だから=着物というわけではないけれど・・・結局は『外に出て内の素晴らしさを身を
もって知る』という結果になったわけです、ハイ。。。
お祭りの笛や太鼓の音を聞いた時に、身体が浮き立つような気分になるように、和
の世界にふれて自分のアイデンティティを感じるのも良いなーと思ったわけで。
まー、難しいことは後から何とでも言えるけど、要は着物もカワイーから着てみたい
し、それを友達にも見せたいし、そんなでもっと日本の事に興味を持ってもらえたら
嬉しい、なんて単純だったりします、本当は。
サン・パウ病院 世界遺産にも登録されている病院
ご存知、外尾氏の仕事場、サクラダ・ファミリア
by shirasu-siesta | 2006-11-16 22:07 | VIVA☆東京生活